2009年05月05日

戦没者を覚える日



今日5月4日は、第二次世界大戦勃発以降の戦争の被害者を覚える日です。

それには第二次世界大戦のアジアでの戦没者、アフリカや中東での平和ミッションでの殉死の兵士の方々も含まれます。


今年の式典は、先日の4月30日の悪夢のあとの最初の公式行事であるということもあり、ベアトリクス女王が参加されたことに対し、熱い拍手がありました。ご自身は多少照れていらしたようですが、「こんなことは一度もなかった」と五右衛門も驚く行動だったようです。

ドイツ軍による収容所は、アウシュビッツだけではなく、また収容されていた人たちもユダヤ人だけではありませんでした。

戦争とは醜いものです。自分が生き残る為に、他人を犠牲にしたくなる状況になります。それでも、「みんなで生き抜こう」と頑張ったけれど、同じ収容所にいた人を救えなかった人。

言葉は通じなかったけれど、フランス人とそれぞれの言葉で同じ歌を、交互に歌っていた人。

ドイツにとっての状況が悪くなっていた1944年秋。その年の冬はそれまでになく寒く、おまけに食料が不足をしていた冬。都市に住んでいた人たちは、食料に困りやっとの思いで手に入れた食料を、子供に食べさせていたとか。

暖房もなく氷点下の中(氷点下10度以下になったとか)、毎晩階段下の倉庫で毛布に包まって過ごしたり、地下を掘って防空壕としたり、知恵を尽くして生き抜こうとしていました。


それでも犠牲になった市民の数は知れず、犠牲になった兵士の数も知れず・・・。


市民が犠牲になる戦争、兵士が犠牲になる戦争・・・64年前と現在と何も変わることがない戦争というもの。


アウシュビッツ開放60年のときの式典の日は、雪が降るほどの寒い日でした。参列していた方たちのはく息は真っ白。でも暖かいコートを着ていました。60年前にそこにいた方達も、吐く息は白かったけれど、暖かいコートもなく、暖かい食事も満足に得られない・・・そんな状況でした。

現在でさえも、あの寒さの中で薄い洋服でいたら大変なのに、60年前であったら・・・と思うだけで、胸が締め付けられました。


それが戦争だ・・・と言ってしまうのは簡単ですが、そうならないようにする為の努力・・・やはり必要だと感じたときでした。



アムステルダムのダム広場に集まった人たちは、思いのほか若い人たちが多いです。戦争体験者が高齢化し、数が少なくなっていく中、きちんとした「軍」を持ち、平和ミッションにも参加をしているオランダだからなのか・・・犠牲者を覚えることの意味を考えた今日でした。


式典は2時間弱でしたが、さっちゃんは途中で飽きてしまいました。「後どれくらい??」と言い出してしまいました。間を入れず五右衛門は、「この式典はまだ2時間弱だけれど、戦争は5年間続いたんだよ。どんな毎日だったか、想像してごらん」と言っていました。

後何年したら、この日の意味が分かるようになるのでしょうね。


 






posted by ニコラ at 05:13 | Comment(6) | TrackBack(0) | オランダ
この記事へのコメント
このような日があるのですね。
こちらでは5月3日が憲法記念日です。今年も各所で集会が開かれたようです。 ご承知の様に改憲論が盛んです。
賛成反対の両方の主張で開かれました。
そのなかで、かなり有名な女性ジャーナリスト(評論家?)が、国家が国際社会で地位と平安を維持しつつけるには、国足政治力と独自の軍事力が必要と強く出張したと報道され、かなり残念に想われました。 軍事力=弾圧と殺戮そして秘密主義です。 このようなものから恒久平和が得られるとはおもえません。
のど元過ぎれば何とやらです、代替わりすれば戦争の実感もなくなります、人間はこりない動物です... よく注意しないと第三次大戦も現実のものになるかもしれません... 
Posted by root at 2009年05月05日 08:31


日本の広島、長崎の原爆記念日、8月15日の終戦記念日の戦没者慰霊祭と同じ様な日ですね!60年も経つと世代も替わり戦争を知らない人の方が多くなりました。先日の北朝鮮のミサイル実験の時は間違えば戦争勃発もありえない状態で冷や冷やしていました。
戦争を経験している私達世代が語り継ぎ世界の平和を訴えて行かなければと思っています。
私も夫の父親も戦死していますので・・。


Posted by ケイコ at 2009年05月05日 20:52


ケイコさま
>私も夫の父親も戦死していますので・・。
そうでしたか...

私の場合は、母の兄二人は戦場で戦死、生き残った兄はインパール参戦で辛くも生還、父は弟が戦後戦病死、父自身は戦場ではありませんが従軍中に左腕を失いました... そんなことで戦争の話はあまり聞かされていませんが、隣の戦友が突然動かなくなったとか、血が突然吹き上がったなどという話を断片的に聞かされました。 そして父自身は、腕を怪我していなかったら多分戦死していたのではと言っていました。
間接的にもこのような想いを語り継いでいかないのでしょうね... しかし、私はほとんどできていません。
Posted by root at 2009年05月06日 09:09


rootさま
世界でも珍しい憲法の日本。日本の軍事主義の実態を知っているマッカーサーが、今の憲法をアメリカ人に作らせたと聞きます。日本人が考えた憲法の原案は、軍事を認めるとかなんとかがあり、マッカーサーが却下したと。
日本軍だけではなく、戦争であれば、人間は醜いことをするんですよね。軍ではなく、人間が。勝つ為にという名目で。
中東相手のアメリカの行為を、第三次大戦と捉えてもいいような状況になっていますよね。さて、これからどうするのでしょうか。
Posted by ニコラ at 2009年05月08日 05:06


ケイコ様
戦死された方が家族にいる・・・そういう家族も少なくなってきていますよね。折に触れて、その経験を若い世代に伝えていってほしいです。
日本は終戦記念日。本来は負けた日だけれど、それだと精神的に・・・という配慮で、終戦記念日になったと聞きます。でも勝っても負けても、亡くなった人はいるわけですよね。だから戦争は醜いものです。
Posted by ニコラ at 2009年05月08日 05:10


rootさま
わが両親は、まだ子供だったので、戦争体験はしましたが、戦場のことは知りません。また身内に戦場に行った人がいるとは、聞いたこともないです。
戦争は人の心をゆがめます。オランダのご老人の中には、日本を憎んでいる人もいます。オランダにいるインドネシアからの人たちは、日本に感謝しているけれど、オランダに連れて来られたから・・・という人もいます。
今現在、私が出来ることは、周りの人たちと仲良くすることです。何人というのは関係なく。
Posted by ニコラ at 2009年05月08日 05:14


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