2008年07月11日

オランダの歴史・・・3 フレーデンブルフ



ユトレヒトの駅に隣接してい「た」音楽ホールは、フレーデンブルフといいまし「た」。過去形です。

でも・・・現在もそのホールはその場所に建っています。でも周りには、青いフェンスがあり、中は利用できません。駅周辺の再開発という名の下に、取り壊すことになっていました。

これが夜のフレーデンブルフ。(こんな感じとは全く知りませんでした!だって、見たことないんだもん、夜!)

Vredenburg1.jpg
写真は「こちら」より。

この音楽ホールは、大・小と二つのホールがあるそうです。むか〜〜し、通っていた五右衛門がそういっているし、ラジオでもこのホールで録音されたものを放送したりしています。

ではなぜこの音楽ホールがフレーデンブルフというのかというと・・・


昨日も書きましたが、この場所にスペイン人のお城であったフレーデンブルフが建っていたからなんですね!

今はどこに城壁があったのか・・・一見分かりませんが、フレーデンブルフ城に対抗して建てた、高い建物・・・ヤコビ教会(Jacobikerk)はまだ建っています。場所的に言うと、音楽ホール・フレーデンブルフより数百メートル離れたところですね。(博物館の目の前)

1568年に始まった80年戦争ですが、1576年12月にはスペインに対しての対抗がユトレヒトで始まりました。そして翌1577年2月11日に、スペイン人たちはどこかへ逃げて行ったそうです。(とはいっても、ユトレヒトの市長が重要な役割をしているのですが・・・)

もちろん残っているオランダ人たちは喜びましたよ!

でもそこに一人の女性・・・トライン・ヴァン・レイムプット(Trijn van Leemput)が、「スペイン人が戻ってこれないように、お城を壊そう!」と言います。が・・・彼女の夫は耳を貸しません。近所の男性たちに話をしますが、耳を貸しません。市長に話をしますが、やはり耳を貸しません。

「オランダはスペインのものなのだから、スペインの財産を勝手に壊すことは出来ない」と理由です。


しかし諦めないトライン。市場にいる女性たちを集めます。お城方面に行進をしていると、子供たちがやってきます。

そしてやっと重い腰を上げた男性たち。

そうしてスペイン人のお城であったフレーデンブルフを壊したのでした。このため、スペイン人たちはユトレヒトには戻ってこれず、80年戦争に拍車がかかったとか。

こんな理由で、お城は存在しません。が・・・博物館に砂で再現したお城がありました!(常時あるわけではないです)

Vredenburg2.jpg

少しは雰囲気がつかめますか?あまりお城っぽくないですよね?砦だから、ごっついですね。



現在使われている音楽ホール・フレーデンブルフは、ユトレヒト市の新興住宅街Leidische Rijn(ライディッセ・ライン)にあります。ここのオープニングのコンサートでは、オランダを代表するバイオリニスト、ヤニーン・ヤンセンさんが演奏をしました。彼女の父親はヤン・ヤンセンさん。(オランダを代表する名前の人ですね!)土曜日に行われている、ドム教会での無料コンサートで、パイプオルガンを演奏されます。


明日は博物館での模様です〜。



 
posted by ニコラ at 06:04 | Comment(2) | TrackBack(0) | オランダ
この記事へのコメント
追い出したにもかかわらず フランスのものだから壊せない という男性にはあきらめや報復をおそれる気持ちががあったのでしょうか?

 やはり、こういう時は 生命の母である女性ですね 

 理屈よりも、自分が体を張って育んだ生命である、子供たちによりよい環境を実現したい そいういうことでしょうか?

 いつの時代も男性は腕力は多少あっても、このあたりの考え方はどうしても迫力に欠ける気がします
Posted by root at 2008年07月11日 12:36


rootさま
戻ってきて欲しくないけれど、そのためには何もせず・・・というのが、「権力の偉大さ」を知っている男性の意見なのでしょう。が・・・自分たちを守るために何をするか・・・を考えるのが、女性?
彼女のおかげで、ユトレヒトは救われましたが、歴史的建造物は・・・壊されちゃったんですよね〜。(^^;;
Posted by ニコラ at 2008年07月12日 05:35


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