2008年07月10日

オランダの歴史・・・2



昨日は、1568年―1648年の80年戦争で止まりました・止めました?

この時代のスペインは、フィリペ2世が国王だったんですってね〜。(もう完全に忘れてます・・・自爆)

この方のことを、Wikipediaで調べると・・・

1527年5月21日 - 1598年9月13日で、出身はオーストリアのハプスブルグ家。にもかかわらず・・・この時代では普通であったようですが・・・彼自身が奥様たちとの運が弱かった為に、何回も死別を経験し、ハプスブルグ家のほうの従弟であり姪っ子と結婚をしたんですね〜。

そして即位は1556年。その12年後に80年戦争が始まったわけです。そしてその戦争の最中の1580年に、ポルトガルの国王にも即位。フィリペ1世となったようです。

そして忘れてならないのが、80年戦争中に、イングランドに対して無敵艦隊を送ったけれど、無残にも負けてしまったということですね。そのイングランドは、オランダ北部州連盟を支持していました。

一方のオランダですが、スペインの領土であった為に、オランダ駐留のスペイン人たちは、好き勝手をしていたとか。

さっちゃんのクラスと一緒に行った博物館の人の話では・・・なのでユトレヒトでのことになりますが、基本的には別の場所も同じだったと思います。

スペイン兵が駐留できるように、「お城」が建設されていました。ユトレヒトの場合は、「フレーデンブルフ」(Vredenburg)です。(1529-1532年)しかしこれは、砦としての機能が重要視されていました。

何に対しての砦か・・・?


それはオランダ人に対してなんですよ!

つまりは・・・砦だから、大砲も装備されていたわけです。でもその先は・・・オランダ人に向けてなんですよ!

そして上にも書いた「スペイン人の好き勝手」とは、略奪・強盗・女性・女の子などを対象としたものなどなどです。一方のオランダ人は、たとえばパンの代金を払わなければ、さらし刑にあいました。首・両手を挟まれて、卵を投げられたとか。


だからオランダ人たちの怒りはつのっていった訳です。


そんな背景もあって、独立に向けての動きが起き始めた訳です。

そしてその中心人物が、「オレンジ公ウィリアム」なわけです!(あぁ〜、話がつながった!)



話を戻して、ユトレヒトのフレーデンブルフ・・・建っていた場所は、やっと改築案が決定した音楽ホールのフレーデンブルフがあった場所です。

あった・・・というのには理由があって・・・


posted by ニコラ at 06:22 | Comment(2) | TrackBack(0) | オランダ
この記事へのコメント
なかなか日本では学べない話をありがとうございます。

さて思ったのは
占領したからといって、相手を非人間的にあつかう思想はダメですね

一時大帝国を築いたチンギスハンは、占領地にはその地の宗教を認め自治を認め(何も変わらない?)そのかわり交易をすることなどを条件として、監督官のような者を配置していったとかです。 虐待行為は認めなかったとか、ですから短期間に勢力を伸ばせたそうです。 どちらかというと東洋的でしょうか? 相手の人格を否定するのは、 自然は征服しようとする西洋的な考え方に思えました。

さあ3を読みましょう!
Posted by root at 2008年07月11日 12:30


rootさま
五右衛門がよく言うのは、「王」になる為に戦争があったけれど、オランダは違ったよ・・・というのです。イギリスもしかり、オーストリア帝国も、プロセインもスペイン・ポルトガルは当然のこと。
でもそれだと、反感を買うのですよね〜。当然の心理だと思います。自分たちには全く徳はないわけですから。
そこを上手くしたのが、チンギスハンということでしょうね。平和的で、お互いの利益になるなんて、皆喜びますよね!
Posted by ニコラ at 2008年07月12日 05:33


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